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31歳からの数学修士

なぜ再び数学するのか

「数学は役に立つ/立たない」について思うこと

世は数学ブームのようで近頃「役に立つ数学」といった記事や特集をよく目にします。一方で「数学は役に立たない」「三角関数なんか」といった文句も引き続き定番のようで、そういったシャウトが飛び出ては反論でタイムラインが賑わうのも見慣れた光景です。

僕は「数学は役に立つ」という事実はもちろん肯定しますが、「役に立つから文句言わずにやれ」とも「役に立つ必要なんかない」とも言いたくありません。

「数学が何の役に立つ?」と疑っている人でも、数学が本当に何の役にも立ってないとは思ってないはずです。科学者や技術者が数学を使ってることは知っているだろうし、現代の生活を支える技術に何かしら数学が関わっていることも想像できるはず。

疑っているのは「自分にとって」何の役にも立たないんじゃないかということなので、「○○に役に立つよ」と言ったところでその○○に興味を持てなかったらその気持ちは変わらないでしょう。

そもそもなぜ数学は「役に立つ/立たない」ばかりで語られるのでしょうか。例えば「サッカーは苦手だ」と言う人はいても「ボールを蹴ってゴールに入れるスキルが何の役に立つ?」なんて言う人は見たことありません。それは数学を学ぶべき理由として「役に立つ」ということしか与えられていないからなんじゃないかと思います。

生きていく上では何かしら社会の役に立っていくことは必要なので、「役に立たなくたって良い」なんていうのは大人として無責任だと思います。しかし「役に立つ」スキルを一通り身につければ直ちに社会の役に立つことができるかというと、なかなかそう甘いもんでもないようです。

僕は学部時代(9年前)にこのことでかなり悩んでいました。僕が好きな数学は「役に立つ数学ではない」と思っていましたし、数学を役に立てることにも興味はありませんでした。しかしそんなことを言いながら生きていけるか、充実した人生を送れるかというと全く現実感がない、これはどうしたものかと鬱屈とした日々を送っていました。このままではどうにもならないと、大学院には進学せず逃げるようにして数学から離れました。

その後の9年間、ベンチャー企業から500人規模、5,000人規模の企業で働いて学んだのは「役に立ち方」というのは実に多様で「何のスキルを持っているか」だけで規定されるようなものではないということです。活躍している人はその人なりの芯(アイデンティティユニークネス、ビジョン)があり、やりたいこと/やるべきことを遂行する上で必要な知識やスキルは躊躇なく吸収し体得して行く。そしてそのプロセスを楽しんでいる。「役に立つ/立たない」なんて曖昧な判断基準で悩んだりしていないようです。

僕もソフトウェアエンジニアとして働く中で、数学が直接仕事に役に立ったことはほとんどありません。しかし数学によって培われた思考力(忍耐力)や美的感覚は開発や設計において常に活きていたと思います。「俺は数学をやってきたんだ」という自負も自分を強く支えてくれるものでした。

「数学は役に立つ」というと、その知識が直接仕事に使えなければならないような気になりますが、その狭い意味において数学が役に立つ仕事は限られています。より広い意味での「役に立つ」については、数学に限らず、何かを深く学んだ経験全てについて言えることなんだろうと思います。

「役に立つ知識」は大切ですが、そればかりだとつまらないし、皆同じような働き方になっては個人としても集団としてもユニークな「役に立ち方」はできなくなるんじゃないかと思います。

もし将来子供(現在2歳)が「数学って何の役に立つの」と退屈そうな顔で聞いてきたら、「そりゃまぁ色々あるけど、それが見つかってからでないとやる気しないんなら、それを見つけることを優先したらいいよ」とでも答えるのがいいかなと思ってます。

大学は今日から後期スタートです。 (追記: 来週からでしたw)


追記: レスポンスを頂きました。ありがとうございます!