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31歳からの数学修士

なぜ再び数学するのか

「芸術的正しさ」と「身体的正しさ」

昨日、書泉グランデで開催された数学者・加藤文元先生の講演「正しさからの挑戦」を聞きに行きました。

www.shosen.co.jp

加藤先生は大学時代は数学には全く興味がなかったそうです。子供のときに数学者であるお祖父さんに買ってもらった『おもしろい数学教室』をふと手に取り、そこにあった「無限に大きく自乗しても変わらない数」に興味を持ち、それを検証するプログラムを自分で作ってみた。すると驚くべき特徴に気づき、調べれば調べるほど面白い性質が見つかり、一人でその研究に没頭したそうです。後にそれは「p進数」と呼ばれるものであることを教わり、これはもっと知りたいと思って数学の道を志したそうです。

その原体験から数学者として研究を進めている今まで、ずっと拠り所となる「正しさ」の感覚があったそうです。それが「芸術的正しさ」と「身体的正しさ」。「芸術的正しさ」とは p 進数や非ユークリッド幾何学のように、一見狂った世界に見えても、踏み込んでみると一貫して整合の取れた世界が広がっていて「これは確かにあるんだ」と確信させられる感覚のこと。「身体的正しさ」とは、ミッシングピースを探していて「これはどうかな…?」とはめてみたところ、ピタッとハマってときの快感のこと。

数学における「正しさ」というと、多くの人は「論理的に無矛盾であること」と考えると思います。それはもちろん大切なのですが、数学を自ら作っている立場の人にはそれだけではない創造的な「正しさ」を持っているのだと感じました。よく数学を賛美する言葉として「数学は美しい」と耳にしますが、個人的にはそれでは全然物足りない感じがあって、先生の言う「狂ってるのに正しい」という感覚は僕が数学に対して感じる躍動的な面白さを直指しているように思えてとても腑に落ちました。

ちなみに僕が数学を好きになった原体験はというと小学校のときの塾の先生で、学校の授業が嘘臭く感じて反抗ばかりしている僕を理解してくれる人でした。その後も尊敬する数学の先生に何人か出会っているのですが、共通して論理的にも感覚的にも「正しさ」を自分の中に持っているように感じます。「正しさ」が自分の中にあるから、真っ直ぐ話をしてくれるし真っ直ぐ話を聞いてくれる。常識に馴染めずに苦しんでいた僕にとっては、そういう先生たちの存在は救いでした。

しかし「正しさからの挑戦」ってめちゃめちゃカッコイイですよね。なかなか容易に宣言できる言葉じゃないと思います。しかも加藤先生は昭和の映画俳優のように長身でダンディな方でした。惚れてしまいますね。

物語 数学の歴史―正しさへの挑戦 (中公新書)

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ガロア―天才数学者の生涯 (中公新書)

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数学する精神―正しさの創造、美しさの発見 (中公新書 1912)

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